【2020年の抱負】FXカップルの今年の挑戦
あけましておめでとうございます。
めずらしく、 ひがし と れいか の2人でお送りします。
今回は『FXカップルの2020年の抱負』について書いていきます。
楽しみでしかたがなかった年末年始の9連休もあっという間に過ぎ去ってしまいました。
楽しい時間ほどあっという間に過ぎていくように感じるのは、「時間経過に向けられる注意の頻度」が低いからだそうです。
楽しいことをしているときは、時の流れよりも強く意識が向けられている事象が存在するので、時間の経過を早く感じるということですね。
この原理でいうと、集中して取り組んでいる「楽しいこと」をしながら、時間経過に意識を向けて長い時間であるように感じることはできないのですから、人生とは世知辛いものです。
嫌なことほどあっという間に過ぎてほしい。
でもまあ、連休は終わってしまったのだから仕方がない。
前置きが長くなりましたが、今回は『FXカップルの2020年の抱負』について書いていきます。
そもそも、なぜ「抱負」を新年に考えるのか
子供のころから私たちは、正月を迎えたとたん「今年の抱負は」とか「どのような1年にしたいか」とか問われることが多かったように感じますが、「なんで?」って思ったことありませんか?
ただ新しい1年が始まっただけといえばそれまでだし、少し長い休みがある以外には環境の変化も少ないはず。入学・卒業といった大規模イベントは4月ですしね。
それでも人は、「年の瀬」という年末ムードの中では1年を振り返り、「年の初め」には未来の自分を夢見て今年の抱負を語ります。
それは「初詣」「初夢」などが人々の気持ちをリセットさせ、リスタートを始めるいい契機となることや、日本でいう「一年の計は元旦にあり」や、英語圏の「New years resolution」のような考え方が根付いているからでしょう。
一年を振り返ったとき、自分の人生に満足しきっている人なんていません。
努力の最中の人は成功を夢見てますし、現状で成功している人はもっと上を目指します。
世の中の大勢の人々が同じタイミングで自分の夢見る未来を語り、挑戦を始めるというのは、一人で何かを継続するのが難しい人間にとってこれほどありがたいことはありません。
普段だったら語れない目標や夢を、「今年の抱負」として周囲に宣言することでより言葉の力も増しますしね。
こうしたことを踏まえると、「リスタートの切っ掛けになる」かつ「皆が同時に感じる」という条件を揃えた年始というのは「今年の抱負」を考えるベストタイミングとなるのでしょう。
FXカップルの「今年の抱負」について
年末にこのような記事を掲載しました。
↓↓↓
fx-couple-no-susume.hatenablog.com
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私たち2人にとって、2019年は新たなことに挑戦する機会が本当に多かったと思います。
自発的なものもあれば、社会から有無を言わさず始めさせられたものもあったような気もしますが。
そんな2人の所信表明として、「今年の抱負」を語りたいと思います。
達成、したいな。しましょう。
ひがし の今年の抱負
ひがし が掲げる抱負は2つです。
一つ目は、「継続する」こと。
これは以前の記事でも書いたので多くを語らないことにします。
とにかく何でもやる前から「どうせこうだから」とか、「もしかしたら無駄になるかもしれない」とか、ネガティブな前提や見えない不安に敗けずに、今年は継続してみたいです。
その先にきっと何かが見えると信じてみます。このブログも重要な継続の一つです。
二つ目は、「発見する」こと。
これは”何となく”をやめるためのものです。
つまり発見することとは、常に何かを見つけようとする姿勢です。
自分がこれまで何となくやっていたことを見直すことで、無駄を省けたり、逆に良いルーティンを見つけられたりといった効果が期待できます。普段自分が注目しないようなところにこそ、案外大きな発見があるものです。
「大切なものは失ってから気づく」なんて言いますが、そうならないために色んなことを意識的に見つめなおして、気づきを得たいです。
FXにおいても同じことが言えます。
チャートというただの線をどう捉えるか、どう見るかによって、学びや気づきは異なります。いかに多くの視点からそれを見ることができるかが、学びの量を左右することになるのだと思います。
れいか の今年の抱負
れいか が掲げる抱負は2つです。
一つ目は、「柔軟になる」こと。
良くも悪くも2019年は、まったく同じ考えを持つ人などいないということを突き付けられた年でした。
出来れば一生関わりたくない人を頼らなければいけない機会に辛い思いをしたり、その一方で ひがし のように近い感覚を持っている人と出会うことで強く親和性を感じたりすることもありました。
自分が本当に信じたいというものを曲げる必要はないと思うけれども、「十人十色」といわれるように各人にとって大切にしているものがその人の数だけ存在するのだから、それは尊重しなければならないと強く認識しました。
だからこそ、自分が正しいなんて驕りを持つことなく、周囲の人に柔軟に耳を傾け、他人の良いところを吸収していけるようになりたいなと思います。
できるかできないかではなく、とにかく心がける。
二つ目は、「記録する」こと。
私はもともと物忘れがひどくて、どんどん過去の記憶をとばします。(病気ではありません。)しかも”熱しやすく冷めやすい”ためか、物事を継続するという力が圧倒的に足りません。
だから「何を」「どのくらい」頑張ったからこの成果に結びついたのか、という把握をすることがとても下手なのです。
でもそうするとPDCAをうまく回すことができず、自分の成長には遠回りになります。
そこで今年は、日記という形で記録をつけることにしました。それなりの値段がする「3年日記」です。お察しのとおり私は三日坊主なので、周囲の誰も続くと信じてくれませんが…。
日記をつけ始めてまだほんの数日ですが、自分が今何を感じ、何を行動し、その行動が未来にどういう成果に繋がるかという事象を把握できる日記にはすごく続ける意味を感じています。
人生はPDCAの繰り返し
1年の初めには、理想の自分を想像して目標を立てる。
長いようで短い12か月間の中で、目標に向かって努力する。
1年の終わりには、これまでの自分を振り返って評価と改善策を検討する。
人生はこうしたPDCAサイクルの繰り返しであり、その成果の中で人は成長するんだろうなとつくづく感じます。
「PDCA」という言葉自体は、社会人になってから聞く人が多いかもしれませんが、きっとみなさんのこれまでの人生も、振り返ってみれば無意識に様々なところでPDCA、しているはずです。
あの方法がダメなら次はこうしてみよう、これが成功したのはなぜだろう、と無意識に考えてしまうのは、冒頭に書いた通り、自分の人生に満足しきっている人がこの世にほとんどいないからなのだと思います。
ここまで読んでくださったあなたも、少し立ち止まって考えて、「今年の抱負」をきちんとイメージしてから、1年を始めてみませんか?