FXカップルのすゝめ

『FXをはじめとする個人投資で「脱サラ」を目指す』【FXカップルのすゝめ】へようこそ!みなさまへ『私たちが学んだありのまま』をお届けします。

【新卒3年目が書く日本社会】私がおもう「企業で働く」ということ

 

こんにちは。 ひがし です。

 

今回は、『企業ではたらくということ』について思うことを

書いていきます。

 

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Image by PublicDomainPictures from Pixabay

 

以前のプロフィール記事でも書いた通り、

私 ひがし は2019年11月29日現在、

新卒3年目の企業社員です。

 

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fx-couple-no-susume.hatenablog.com

 

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また、今回の記事から読んでいただいた方のために

あらためて書きますと、私たち『FXカップ』は

脱サラ(=日本社会で企業に勤め続けることから脱すること)

を目指して、日々さまざまな取り組みをしています。

このブログ執筆もその一環といえます。

 

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fx-couple-no-susume.hatenablog.com

 

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今回は、そんな「会社辞めたい新卒3年目からみた日本社会

をつらつらと書いてみようと思います。

 

● 就職活動について

 

会社に入るためには、就職活動をする必要があります。

当然ですが、大学生だった私もいくつかの面接や試験を通過して

今の会社に勤めることができています。

 

ですが、一般的な就活生と私にはひとつ大きな違いがありました。

それは当時の私は「体育会生」であったということです。

みなさんがイメージされるようなゴリゴリなものではありませんが、

基本的には毎日練習をして、週末には試合があって、

ほとんどがその活動に割かれていました。

 

そのためほかの学生と比べて、圧倒的に就職活動に割ける時間は

少なかったのです。

実際、まわりの友達が100枚近くのエントリーシートを書く中、

私が書いたのは両手で数えられる程度でした。

 

● 自己分析について

 

これも就職活動おなじみだと思いますが、

エントリーシートを書いたり、面接したりするにあたって、

自己分析をおこないます。

 

具体的には、

・自分のもっている価値観を言語化するとどうなるか、

・モチベーションメイキングはどのように行っているか

・それらのルーツはいったいどこからきているのか

これらのことを考えることになります。

 

体育会の活動の一環で

メンタリティやモチベ―ショニング、目標設定について

ある程度教わっていたので、あまり苦に感じることはありませんでした。

 

一方で、ここで分析された「自分像」を直視すればするほど、

企業に身を置いて働き続ける「求められる人間像」とは

かけ離れていることが分かってしまいました。

 

● 企業が社員に期待すること

 

具体的に書いていきます。

まず企業が社員に対して期待することとは何でしょうか?

 

私の考えでは、その企業で達成したい大きなゴールがあり、

そのゴールに到達するモチベーションがあること、

また過去の経験からそれを達成するためのノウハウ

つまり、「努力のしかた」を身に着けている人です。

 

実態としてすべての企業がこういった人たちだけを採用できている

わけでは決してなく、理想はこんな感じだと思います。

 

● 「自分像」との乖離(かいり)

 

これに対して私がどうであったかというと、

まず企業分析に割ける時間がそもそも少なかったので、

どの企業に対しても思い入れが薄かったです。

 

そもそも、働くということに対してキラキラしたものを描けるほど

まわりで輝きながら働いている人もいませんでした。

 

極端な書き方をすると、

働くことの大目的はお金を稼ぐこと

それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

 

ただ今後40年間それだけを目的に働き続けるのも

さぞしんどいだろうと思い、

少しでもおもしろそうなところを選ぼうとして

今の会社にたどり着きました。

 

つまり、この時点で「人間的に望ましい成長ができる」ことを

モチベーションとする私の中では

「お金が必要だから社会に出て働かなければいけない」

という大義名分が土台となったことで

企業が求める人物像との距離を感じていました。

 

● 結論:約3年、実際に企業で働いて感じたこと

 

そんな私が実際に企業で働いてみて感じたことを

書いていきます。

 

大義名分だけでも「ある程度は」働ける

 

新しいことをはじめるときには、どんなことでも期待と不安があります。

私の場合、たいていはネガティブイメージが勝つので

ふたを開けてみると案外たのしいとか、そういうことが結構多いです。

おもしろそうな企業を選べたことで、特にはじめの一年間は

それなりに集中して働くことができました。

 

・つらいことがあると「踏ん張れない」

 

働いていると、ときにはつらいこともあります。

明らかな自分のミスや能力不足のときはもちろんつらいです。

 

それだけでなく、

方針が急に変わって今までの仕事がふいになったときとか、

教わっていないことができていなくて注意されたときとか、

自分の能力不足や責任の範疇外のことも起こります。

 

こういうときに、

「この日本社会に身を埋めて生きていくには必要なスキルだ」とか

もはや割り切って何も感じないぐらいの人だと良いのですが、

私はそうではありません。

 

お金を稼ぐために企業に身を置いているわけで、

「日本社会で生き抜くスキルを身に着けるため」に

働いているわけではないのです。

 

くわえて、そのスキルを身に着けたところで自分の人間らしさに

どんな良い影響があるのかを考えると、特に何も思い浮かびません。

 

こんな風に考えていると、いざつらいことがあったときに

割り切ったりとか頭を整理して「踏ん張る」ことができないわけです。

 

・企業ができることは一貫している

 

最初に書いた通り、もちろん世の中のすべての新卒社員が

大きな野心とモチベーションをもって企業に入社してくれるという

理想的なことは起こりえません。

 

だからこそ、企業は福利厚生とか社内研修制度とか

種々の制度で「その企業に身を置く意義」を提供してくれます。

 

ただ、これらで提供してもらえるものはまさしく

「その企業に身を置く意義」であり、

自分の人生をダイナミックに変える価値観やモチベ―ショニングではありません。

おそらくですが、そもそもそんなものは他社から提供しえないもので、

紛れもなく自分でしかつくることができないからです。

 

・「企業で働く」こと=「自分と企業をフィッティングする」こと

以上から、私が今考えている「企業で働く」ということの

本当に本当の結論。

 

それは、「自分と企業をフィッティングする」ことです。

 

「フィッティング」ってどういうことかというと、

お互いが切っても切り離せない、という

共依存関係を構築するためにお互いが対価を提供しあうこと

みたいな感じでしょうか。

 

つまり、その提供しあう「対価」にどちらかが価値を見出せなくなったら、

その関係に終わりがくるのだと思います。

今の私たちがまさにそういう状況にあるように。

 

多様な働き方」ができるようになった今だからこそ、

これまで当然とされてきて考える余地すらなかったようなことに

あえて目を向けて真剣に考えてみる、

そんな機会があってもいいんじゃないかと思い、

書いてみました。

 

ビバ、脱サラ。ビバ、毎日更新。

 


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